Escape
ずっと昔、暑い夏の夜にはダーズリー家の花壇に隠れ、遅くまで星を眺めていた。
その時にはまだ、星たちは瞬きながら空を横切っていくだけで、天空に定められた道があるなんていうことは知らなかった。
それでも星はハリーに自分の惨めな生活を忘れさせてくれた。
夜空にきらめく小さな点のひとつひとつが無数の可能性と未知なる世界を期待させた。
ハリーは星に手を伸ばしてみるが虚しく宙を掴むだけだった。だが何度も何度も繰り返した。
いつかきっと手が届くはずだと願いながら。
今また、どこか別の世界へ逃げ出したくて、ウイーズリー家の庭に腰を下ろし、澄み切った夜空を見上げていた。
数年前、ダーズリー家での悲惨な生活から逃れることが出来た。
その頃には、星の運行を調べるための星座早見表のことなど知らなかった。星図の書き方も木星の衛星の名前も知らなかった。
ほんの数年前まで、星の名を持つ名付け親のことも知らなかった。
あの日、彼が命を落とすことも知らなかった。
自分が・・・殺すか殺されるか、どちらかひとつの運命だという忌々しい予言だって知りもしなかった。
今すぐどこかへ逃げ出したい。
星に隠された未来の予兆も古代からの秘密でさえも、何の手助けにもならないと分かっているが、子供の頃にのように無数の未来と未知の世界への期待をもう一度味わいたかった。
だが、星は彼の期待に適わなかった。
それどころか、星空はもはや何も与えてくれはしなかった。
ハリーは星空から視線を逸らした。
家の中では、ひときわ大きな歓声が上がっている。
ついさっき双子が新しいいたずらグッズを持って帰って来たばかりだ。
ハリーはまだ中へ戻る気になれなかった。
中で行われているのは彼の誕生日で、本当ならそこに居るべきなのだ。
だが今は、笑い声に満たされた部屋には耐えられなかった。
立ち上がる代わりに、耳の周りでうるさく飛んでいる虫をピシャリと潰し、さっき放りだした庭小人たちが暗がりに紛れて戻ってくるのを眺めていた。
「隠れんぼ?」
ハーマイオニーが突然横に現れてハリーは驚いた。
物思いにふけっていてドアがきしむ音も芝を踏む足音にも気がつかなかった。
「子供の頃から下手なんだ」
ハーマイオニーは彼の隣に並んで座ると冷たいバタービールを差し出した。
ハリーは一口飲んで地面においた。こぼれないよう芝生にしっかりと差し込んだ。
「ありがとう」
その後は二人とも黙りこんでしまった。
ハリーでさえその静寂に居心地悪さを覚えたが、何と声を掛ければいいのかわからなかった。
この何週間か、ずっと彼女に会いたかった。
やり場のない怒りが徐々に哀しみに変わるにつれ、彼女に会いたくてたまらなかった。
だが、もし一端口を開いたら、もう感情を押さえることが出来なくなると思った。
例えハーマイオニーがそんなこと構わないとしても、一度吐き出した思いは、坂を転がり落ちるように決してとどまることはない。
ハーマイオニーはため息を吐いて立ち上がろうとした。
とっさにハリーは彼女を引き留めた。自分でもなぜだかわからなかった。
一人になりたくてここに出てきた・・・なのに行かせたくなかった・・・自分でも分からない。
本当は一人になることを望んでいたわけではなかったのだ。
「私とまた口をきいてくれるの?」
ハリーの目の端に一心にこちらを見つめているハーマイオニーが映った。
「何を話したらいいのかわからないんだ」
その言葉は本心だった。
夏休みに入ってから、彼女からの手紙に返事を出さなかった。(リーマスやウィーズリーおばさんには思った以上に毎日手紙を書かなければいけなかったが)
昨日彼女がここに着いてからもずっと、彼女のことを避け続けた。
ロンとは去年の事件が話題に上ることは一度もなかった。ロンはハリーがやりたいようにやらせてくれた。一言も言葉を交わさずただ箒に乗って牧場をぐるぐると飛び続けても、黙って付き合ってくれた。
ハーマイオニーはそう言うわけに行かないと分かっていたし、それは間違っていなかった。
昨夜は隙を見ては彼を問いつめようとしていたのだが、彼は彼女を避け続けた。
さっき外へ出てきた時は、ロンがパーティーで彼女を捕まえている間、一人になれると思っていたが、当てはずれだった。
「じゃあこれはどう?『やあハーマイオニー、夏休みはどうだった?』から始めたらどうかしら?」
そう言うと、地面から彼のバタービールを持ち上げゆっくりと飲んだ。
なぜだかその仕草にどぎまぎした。
彼女が彼にバタービールを手渡すと、彼は瓶についた水滴を指ではじいて反対側の脇へ置いた。
「やあハーマイオニー、夏休みはどうだった?」
ハリーがそう言うと彼女はにっこりした。
「酷いものだったわ。あなたが返事をくれないから。。。電話もしてみたのよ。あなたの叔父様、あなたに言わなかった?あの人ったらあなたは家に居ないって言ったわ。どこに居たの?心配で何も楽しめなかったから、夏休みがとても長く感じたわ。フランスだって去年の夏みたいに心待ちにできなかった。両親がどうしてもと言うから行ったんだけど。。。私のことをとても可愛がって一緒に過ごしたいと思ってくれるのは幸せなことに違いないわ。でも私はそれよりも、ここに来たかったのよ。」
ハリーはこくりと頷いた。
「じゃあ、今度は私の番よ。あなたの夏休みはどうだったの、ハリー?」
涙が込み上げて来て喉の奥が引きつれて痛んだ。今は話しをしない方が賢明だ。
彼の夏休みは酷かった。ダーズリー家にいる時はずっと寝室の天井を見上げながらこの状況が変わりますようにと祈りながら過ごした。
ここに来てからはウィーズリー家の誰もがとても親切にしてくれたが、皆、親切すぎた。
誰かが去年の出来事を持ち出そうものなら、すぐさまおばさんに「シッ!」と釘を指される。
ダーズリー家では全く関心をもたれず、ウィーズリー家では壊れ物のように扱われる。
彼の望みは放っておいて欲しいということだけだった。
そうすれば、大声でわめいたり、皆が口を揃えて“変えられない”という運命を変える方法を解明したり出来るのに。。。
「まあまあだったよ」彼は嘘をついた。
「まあまあですって?」ハーマイオニーは疑わしそうに言った。
「そうさ」
「そのことを私に知らせてくれることはできたでしょう?なのに、あなたがどうしてるか、ロンに頼るしかなかったのよ。それにロンって本当に話が中途半端で聞きたいことは言ってくれないし・・・あなたたち2人のO.W.L.sがどうだったかさえ聞いてないのよ」
きっとハーマイオニーは満点だったことを話し出すと思った。だが、そうではなかった。
「ねえ、ハリー。。すごく心配したのよ。。次の夏休みには、お願いだか・・・」
「君は僕の母さんじゃない・・・」
ハリーがボソリと呟くとハーマイオニーは口をつぐんだ。
「母親ぶるのはよしてよ。モリーおばさんだけでもう充分だ。」
「そんな風に思われるなんて・・・・・ごめんなさい」
ハーマイオニーは両手で膝を抱えると考え事をしながら前後にゆらゆらと体を揺らした。
「もう母親役はいらないんだよ。」
必ずしもそうとは言い切れないのだが、正直言って、ハーマイオニーにあれこれと煩わされたくなかった。彼女だけじゃなく誰からも指図されたくなかった。
「どうして欲しいの?」
その彼女の声に彼の心臓がどきどきと強く鼓動した。そんな自分にハリーはとてもとまどった。
「私には何が出来る?」
「君に出来ることは何もない」
口をついて出た言葉に、彼女の動きが止まった。きっと彼女の気持ちを傷つけた。
だのにまだ彼女は一生懸命ハリーを励まそうとしている。
「ハリー、彼はもう居ないのよ。あなたのご両親を取り戻すことができないように、あなたも彼を取り戻すことは出来ないの。・・・・こんなことになって後悔してるわ。魔法省へ向かう前にもっとよく考えればと思うと・・・・・・罠かもしれないと私が気づくべきだったのよ。私が考えるべきだったのよ。」
段々と声の調子が高まってゆき、ハリーにも彼女の憤りが伝わってきた。
「君のせいじゃない。」
「そして、あなたのせいでもないわ。だから、自分を責めるのは止めて・・・」
そう言って彼女は手を伸ばしてハリーの手を握った。
この夜の暗がりで彼女の手を握っているのは何か妙な感じだった。だが同時に気持ちが安らいだ。
ずっと長いこと、彼にこんな風に触れてくれた人はいなかった。(ハリーが隠れ穴に着いた時のウィーズリーおばさんのハグ以外は)
ハリーはハーマイオニーの手の温もりを感じて涙がこぼれそうになった。
シンプルな、人と人の触れあい。
彼の人生には無いものだったし、最近までどれ程自分自身がそれを切望しているかさえ知らなかった。
チョウとはあっという間にだめになってしまった。もう一度やり直すにはしばらく時間をおいた方がいいと分かっていた。
彼には考えるべき事が沢山あり過ぎて、いつも誰かのことを中心に考えるなんていうことは出来なかった。
でもハーマイオニーはいつもそのまっただ中にいてくれた。もう何年も、彼のためにそこにいてくれる。
ハリーは自分の手で彼女の手を包むとぎゅっと握りしめた。彼女も握り帰した。
「シリウスのことじゃないんだ。ハーマイオニー。。別のことなんだ。だけどまだそのことを話す気持ちになれないんだ。君だけに話さないんじゃない。・・・分かってくれる?ロンにもまだ話してない。自分自信で答えを見つけなければいけないんだ」
ハリーの言葉にハーマイオニーは頷いた。
ハーマイオニーは彼の肩にもたれれてきた。ハリーは握っていた手を離し、彼女の肩に腕をまわした。
それはとても自然で、チョウと二人きりになった時の緊張感なんかよりずっと心地よいものだった。
チョウはセドリックの思い出を分け合いたいだけだった。ハリーにはまだこなせないような役割を期待されてしまったのだ。
だがハーマイオニーは違う。。。一緒に過ごせばどんな時でも充たされた。
「待ってるわ」
「あなたの準備が出来たらいつでも、ここに来て聞いてあげる。そして、もし私が母親ぶったときには、注意してちょうだい。あなたのお母さんにはなりたくないもの・・・」
「何・・・になら・・・なりたい?」
ハリーの声は震えていた。
ハーマイオニーがハッとして息を飲み込むのがわかった。
こんなことを聞くなんてばかだ。
ロンがハーマイオニーに対して抱いている気持ちには薄々気づいていた。
ハーマイオニーがロンをどう思っているのかは知らなかった。当然、自分のことをどう思っているのかも・・・。
「・・・・・わからないわ」
ハーマイオニーの心も彼と同じように戸惑っているようだった。
この夏中、世の中から身を隠し、今の状況から逃げ出すことばかり考えていたので、ハーマイオニーへの淡い想いは心の奥深くに埋もれてしまっていた。
ハリーとハーマイオニーはお互いに絶妙なバランスの存在だった。
彼が怒っている時、彼女は彼を宥めようと努力した。彼が向こう見ずなことをやろうとしている時にはいつも、どんな結果になるかを示唆してきた。彼が良いアイディアを思いつかなければ、彼女がプランを立てる。彼らはとても上手くいっていた。
その晩は暖かい夜だったせい?・・・・・それとも月の光が優しかったから・・・
・・・・・それともずっと長いこと一人きりで過ごしてきたからからかもしれない。
ハリーの胸に、腕に抱くこの少女と唇を触れ合わせたいという衝動がわき起こった。
親友である少女にキスしたい・・・・と思った。
この前あの人に感じた衝動とは全く別のものだった。それに今度は彼女も同じ気持ちかどうか分からない。
彼はハーマイオニーの肩を抱いたまま芝生に寝ころんだ。
二人は夜空を見上げ、ハーマイオニーは授業で習った星を見つけては指さした。そうして知っている星を言い尽くし、またふたりの間に長い静寂が流れた後、彼女はハリーの腕の中でくるりと向きを変え、彼の顔を見上げた。
「ハリー、あなたに会えなくて寂しかった。。。。あなたが友情以上のものを望んでいるかどうか分からないけど、私は、あなたが望むのなら・・・・全てをあげても・・・いいのよ・・・」
それは風に乗ってやっと耳に届くほどの小さなささやき声だった。
「・・・君を後悔させたくないんだ。僕との友情を後悔して欲しくない。」
「僕は・・・誰かを傷つけるんじゃないかって・・・すごく怖いんだ。」
「あなたが私を傷つけることなんて出来ないわ。それにあなたと一緒に過ごした1分1秒たりとも後悔なんてしないわ。」
どくん・・・
ハリーの心臓が跳びはねた。
つばを飲み下すことも、息をすることさえもほとんど不可能だった。
目を閉じて、今起こっていることを整理しようとしたが、考えることがあまりにも多すぎた。
間近に感じるハーマイオニーの吐息。彼女の肌の甘い匂い。
すべてが二人を導いた。
ハリーは、夜空で瞬き続ける星を見ようと目を開き、星を掴もうと手を伸ばした。
だが、手に掴んだのは、ハーマイオニーだった。
彼女は抱きしめられ、星空の下で初めての口づけを交わした。
甘く柔らかい初めてのキス。
彼女もそっと自分から唇を押し当てた。
彼女の唇がわずかに開かれたのを感じてからは、もう何も考えられなかった。
ふたりはためらいながらも舌を触れあわせ、彼女の舌が彼の口の中へ吸い寄せられる前に絡む舌をほどいた。
ハリーはハーマイオニーをぎゅっと引き寄せると、いつの間にか彼女を組み敷いていた。
彼女の指は彼の腕をしっかりと握りしめ、足を彼の腰に絡ませてきた。
こんな事になるとは想いもしなかった・・・ハーマイオニーとこんなことになるだなんて・・
ハリーは腰のあたりに渦巻く熱を彼女に押しつけたいという衝動をかろうじて拒んだ。
あまりにも早くそうなるのは嫌だった。もう充分突然すぎるし。
唇が離れた時、彼女の瞳はきらきらと輝き、満面の笑顔が広がっていた。
「あなた、ちっともキスが下手なんかじゃないわ」
満足そうに言うと、手を伸ばして、彼の髪をくしゃくしゃにした。
「チョウはバカよ。あなたを手放すなんて」
「いや、そうじゃないと思うよ。」
そう言ってハーマイオニーに一つキスを落としそれからまた長い口づけを交わした。
「彼女には分かってたんだ、僕自身でさえ知らなかったのに。僕が誰のものかっていくことをね・・・」
「そういうことなら、それほどバカじゃなかったって前言撤回しなくちゃ。」
ハーマイオニーの言葉に二人で吹き出した。
「ははっ、そうだね。彼女は君じゃなかったんだ。」
二人は寄り添って夜空を見上げた。
「いつか話してくれる、ハリー? 私に背を向けないで。お願い。」
「話すよ。いつかきっと。」
家の中からひときわ大きな笑い声が静かな夏の空気に割り込んできた。
ハリーがため息を吐くとハーマイオニーもため息を吐いた。
「誰かが探しに来る前にもどらなきゃ」
「ああ、そうだね。」
そうは言ってはみたが、腰が重かった。
ハーマイオニーの言うとおりなんだけど、もうしばらくこのままでいたかった。
どうしてたのかをみんなに説明するなんて出来そうもない。だから今すぐに戻らない方がいいように思えた。
ハリーが星に手を伸ばすと、ハーマイオニーは頭上の星座を指さしながら自分の手を重ねた。
多分どこかへ逃げ出すなんてことは出来ないんだろう。。。
だけど、ハーマイオニーが側にいてくれるのなら、もう恐れることはないと思えた。
作者コメント
こんなつたない日本語化なのに、最後までお読み下さってどうもありがとうございます。
とんでもない重荷を背負ってしまったハリーの5巻以降を想像していた時、とてもぴったり来たのがこのお話でした。
海外ファン・フィクには珍しく、原作ベースのSSです。
多感な年頃の焦燥感や不安感が伝わるといいなと思いながらも、力不足でそうは上手くいきませんでした。はい(汗)
日本語化を快く許可してくださったJoriさんに感謝します。
Joriさんのサイト "Hiding Out At Hogwart" は こちらから
このお話の原作は こちらから
Thank you Jori !!
by blue
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