『眠れぬ夜は、温もりを』
モリー・ウィーズリーがその音に気付いたのは偶然だった。
ふと目が覚めた夜、鼾をかいて気持ち良さそうに寝ているアーサーの寝顔を見ながら
再び睡魔が訪れるのをじっと待っていたその時に、家の中、微かに響いたその物音を
捉えたのだった。
暗い家の中で何かが蠢いているようなその音に、すわ敵か死喰い人か、さては襲撃か
と、一瞬、身を硬くした彼女だったが、すぐに母親の自分にすら見分けが困難なあの
双子の顔を思い浮かぶに至って、そっと溜息をついた。
今、このグリモールドプレイスの屋敷にはハリー・ポッターが滞在している。
かのアルバス・ダンブルドアを筆頭とする不死鳥の騎士団をして充分な警戒態勢を敷
くこの屋敷に外部から忍び込める者がいるとは到底思えない。
……そう、裏切る者がいなければ。
あのピーター・ペティグリューの事をモリーは忘れてはいなかった。
自分達とてセブルス・スネイプに頼っているのだ。騎士団の仲間を信頼するのは大前
提だが、万が一の時、もしもの時には、モリーはその身を張って、少年を、ハリー・
ポッターを、守り抜くことを己に課していた。
闇が復活した今、彼こそが人々の希望なのだから。
さりとて、先日の魔法省の一件で敵勢力は大きな損失を蒙っているはず。今、この時
期の襲撃はまず考えられなかった。
「まったく、あの子達ときたら……」
モリーは夫であるアーサーを起こさぬようにそっとベッドを抜け出した。
『眠れぬ夜は、温もりを』
夏とはいえ、未明ともなれば気温は少し下がり心地よい涼しさも感じる。空気もひん
やりと冷たい。廊下の窓から見上げた夜空には留めた沢山のブローチのように星が輝
いている。
少しだけ欠けた月は、しかし、まだ充分に明るかった。
寝汗をかいてはだけたシャツに少々の極まり悪さを覚えながらも、モリーは先程まで
寝付いていたそのままの格好で、音が聞こえた上の階へと歩を進めた。欠伸をしなが
ら階段を昇れば、すぐ目の前のその部屋が滞在中ハリーに与えられた居室である。
間違いなく先程の音はこの部屋から発せられたものだろう。
足を忍ばせ、ドアににじり寄る。
意を決したモリーは、ドアノブを掴むと、静かにそれでいて素早くドアを開けた。
開けたドアの先の光景は……、だが、てっきりあの双子が悪さをしているものと予想
していたモリーを裏切るものだった。
差し込んだ月明かりに照らされたベッド、黒髪の少年が眠っているはずのそのベッド
に、腰掛ける少女の蓬髪の茶色が月光を反射し、キラキラと光っていた。
薄暗い部屋の中でも、それは真新しい金貨のような輝きを放ち、粛然とした空間、そ
こにまるで天使が舞い降りたかのような、その幻想めいた光景に、モリーは息を呑ん
だ。
モリーがもう少し注意深ければ、或いはその瞬間の少女の表情も捉える事ができたか
もしれない。
……黒髪の少年の手をそっと握り締めたまま、真摯な顔つきで少年の様子を窺う気遣
わしげな少女のその表情を。
「……ハーマイオニー?」
ハーマイオニーがこの屋敷の内にいるのは驚くべき事ではなかった。彼女もまたハ
リーと共に此処に滞在しているのだから。
だが、彼女がこの部屋の中にいるのは充分に驚くに値する事だった。夜も更けたこん
な時刻に彼女がこの部屋を訪れる理由なんてないのだから。
束の間、見つかってしまった動揺を見せていた少女だったが、すぐに自分を取り戻す
と、問い掛けるモリーに向かって何も言わず、立てた人差し指をそっと口にあてる。
慌てて声を潜めて、モリーは静かに聞いた。
「何をしているの?」
その問いに、少女は困ったような、戸惑ったようなそんな表情を浮かべた。
いつも鋭敏で大人びたふうの少女には珍しい、年相応の幼さを感じさせる、そんな顔
だった。
「……手を、……握っていたんです」
静まり返った寝室に、澄んだ少女の声が響いた。
それは小さくか細いものだったけれど、だが、とても透明な声音だった。
「手?」
「……うなされている時、手を握ってあげると、彼は、落ち着くから……」
「そんなこと……本当なの?」
月明かりの下、それでもぼんやりと暗い室内で少女の瞳が濡れたように光を反射して
いた。
「……まるで幼い子供みたいでしょう?手を握ってあげれば、安心するなんて。……
でも、夢の中ぐらいはせめて、つらい思いを忘れてほしかったから……」
笑いを含めたような口調でも、少女は全然笑ってはいなかった。
「ハーマイオニー、貴女……。寝ているハリーの手をずっと握ってあげていたの?」
「……」
少女は答えなかった。だが、その沈黙が答えを与えていた。
「ハーマイオニー……、いったいいつから、貴女……」
「今日は大したことはなかったみたいでした。こんな月の明るい夜は、彼も悪夢を見
ないですむみたい……」
モリーの問いに直接答えることはしなかったけれど、それは決して今日が初めてでは
ないことを教えていた。
少年は、ハリーは、きっと知らないのだろう。
知られないように、少女は、ハーマイオニーは、少年を護ろうとしているのだから。
囁くようなその口調は、慈愛に満ちていた。
「ハーマイオニー……、貴女……」
問い掛ける言葉すら見つからずにモリーは逡巡した。
少女にとって大切だった何かを盗み見てしまったような、少女にとっての聖域に勝手
に踏み入れてしまったような、そんな気まずい思いを抱いた。
少女はそんなモリーをじっと見つめ、ふと諦めたような笑みを見せると、その透き通
るような声色で、大きさを押さえながらも凛とした響きで、唐突に言葉を紡ぎ始め
た。
「……ハリーは、やっぱりお父さまお母さまの事をよく思い出せないそうです。
物心がついたときにはもう、押し込められた暗い部屋に一人で寝かされていたらしく
て……。恐ろしい夢を見た時も、傍に誰もいてはくれずにただ一人で……闇に怯えた
まま、眠れずに過ごした夜もあったそうです……。
一歳という幼さで両親を失って以来、彼は幾つの夜をそうやって過ごしてきたのか…
…。
人の温もりを知らないまま、ずっと一人で耐えてきたのでしょうね。本当に、それこ
そたった、一人きりで……」
「……」
「本当言うと、想像できないんです……私。
彼が、ハリーが、それをどう思って今まで過ごしてきたのか……。
たぶんね、つらかっただろうとは思うんです。
でも、私には両親がいてくれました。優しい両親です。
私は一日だって、独りぼっちで過ごしたことなんか、なかった……」
「……でも、それは家族のあるべき姿だわ、きっと。家族は、寄り添い生きていくも
のだもの」
「でも、彼には、家族はいなかった。一緒に住んでいた人は居ても、家族はいなかっ
た。
一度は闇を退けた英雄は、だけど、ずっと独りぼっちだったんです……」
少女は淡々と言葉を重ねた。
誰に言葉をぶつけるでもなく、静かに。
だが、その言葉の一つ一つがモリーにとっては、ただ、痛かった。
「可哀想だとは思わない。
何も知らない私がそう思うのは、たぶん、おこがましいことだと思うから……。
でも、もし、私にも何かできるなら……。
彼の為に何かできるなら……。
きっとしてあげたい。その気持ちは本当だから……」
そこで、少女は言葉を切り、モリーから目を背ける。
差し込む月明かりを見上げ、自嘲気味に微笑んだ。
「……私はマグルの家に生まれたけど、まだ赤ん坊の頃から時折見せていた魔
法の力に、周囲のものはかなり戸惑ったそうです。
中には、私は呪われた子だから捨ててしまえと……。
悪霊に取りつかれているから手放したほうがよいと……。
私の両親にそう勧めたかたもいたそうです」
「なんてこと……」
「私、そんな事……全然知らなかった。
そんな風に言う人もいたなんて……全然知らなかったんです。
確かに、ホグワーツに入学して、ハリーやロンに会うまで、本当に友達らしい子はで
きなかったりもしたけれど……。
みんな、気味悪かったんですよね、私のこと。
面と向かっては、言わないだけで。
私は知らなかったけれど、きっと両親も色々言われていたんじゃないかと思います…
…。
もちろん、それだけでなく、私には気が強すぎるきらいもあったけれど……、結局の
ところ、私にマグルのお友達はできなかった。
最後まで、できませんでした……」
「……」
「……でも。私……ちっとも淋しくなんかなかった。
ママがいてパパがいた。
毎日が幸せでした。
世界中がキラキラと輝いていて、夢はどこまでも大きく。大きくなったら何だってで
きるようになると、もっともっといいことがあると、無条件に何の疑いもなく信じて
いました。
明日はきっともっと楽しいと、明日になるのが待ちきれなかったあの日々。
どうしようもなく幼くて、でも大切な大事な想いが一杯あって……。
そう、今思えば、全ては両親のおかげでした。
私もハリーも、同じマグルの世界で幼少期を過ごしたはずなのに、それなのに、こん
なにも違ったんです……」
「……でもそれは貴女に責任があるわけじゃないわ、ハーマイオニー」
いたたまれずに、口を出さずにはいられなかった。
だが、少女は頭を振って続けた。
「恐い夢を見て目を覚ました事だってあったけれど、そんな時はいつだってママが一
緒に寝てくれた。そうして、私は安心して眠りについたんです。
判らないことがあれば、なんだってパパに聞いた。時には突拍子もない事を聞いたけ
ど、パパはいつだって優しく教え諭してくれました……」
「……」
淡々と告げる少女を、モリーは黙って見るしかなかった。
少女の手は優しく、眠れる少年の手を包み込んでいた。
「……でも彼には、誰もいなかった。
誰もね、彼の傍にはいなかったんです……。
彼は、たった一人で今までやってきたんです……。
それが彼にとっては普通だった……。
その異常さに気付くこと無く、独りぼっちが普通だったんです……」
「……」
「……それで、一体、誰が彼を責められるの?
手を握ってもらって、やっと安心する彼を誰が責めるられるのです?
子供っぽいって誰が責められるんですか?
……両親を早くに亡くして、今、また、信頼していた名付け親まで失った。
ねえ、誰が彼を慰めてあげられる?
ずっと独りぼっちだったからこそ、今また独りになるのを恐れる彼を、誰が、誰なら
慰められるの?
彼はねえ……、ハリーはねえ……、シリウスと暮らせる日が来るのを心待ちにしてい
たのに。
シリウスが無実の罪に陥れられていて、いつ来るとも知れなかったその日を。
それでもね、彼は信じていたのに……。
彼が、傍にと願う人はみんないなくなってしまって……。
それなのに、私……私は……、何もしてあげられない」
「……」
モリーはただ静かになって、語る少女を見つめていた。
淡々と語る少女は、だがその口調とは裏腹に肩を震わせていた。
モリーは近づいて、その優しすぎる少女をその腕の中に招いた。
興奮しかかった少女の肩を抱いて、あやすように。
少女はモリーのどっしりとした体躯にぐったりと体を預け震えていたが、やがてま
た、静かに身を起こした。
「……私ね、彼の役にたてなかったんです」
「そんなことないわ、ハーマイオニー。貴女はハリーを本当によく助けているじゃな
い」
励ましたモリーに、だが、少女は力なく頭を振った。
「あの魔法省で闇の魔法使いと対峙した日……肝心な時に私は彼の役にたてなかっ
た。私、すぐにやられてしまって……、足を引っ張るばかりで……」
「……」
「なんて役立たずだったんだろうって思えて……。結局、また彼だけに、彼ただ一人
に、全てを背負わせてしまった……」
「……」
モリーは何も言わなかった。
言えなかった。
少女の髪を撫でる手が僅かに震えた。
ああ、この娘は、確かに、心の底から想っている!誰より愛している!
その相手はハリー・ポッター。ロナルド・ウィーズリーではなく……。
モリーは知っていた。
彼女の息子が抱く淡い想いを。初々しい恋心を。
ロンが少女を見やるその視線、少女に投げ掛ける言葉、少女に対する態度。
或いは、彼自身、ロン自身、気付いてはいないかもしれない、その僅かな違いに、だ
が、モリーは気付いていた。
モリーはそれを喜ばしく思っていたのだ。
監督生を務め、またグリフィンドールにおけるクィディッチのキーパーも務めるとい
う、そんな一年を終えたロンの顔は、時にハッとするほど男らしく大人びた感じを与
えるようになってきていた。
その上に恋を知るまでに成長したか。
そう思うと、モリーは嬉しかった。
しかも、相手はあのハーマイオニー・グレンジャーときた。
ハーマイオニーは今時珍しいくらいにしっかりした、とてもいい娘だ。彼女ならば、
悪くはない。いや、そそっかしいところのあるロンには、ぴったりのお相手のように
さえ考えていたけれど……。
……判っている。
選ぶのは少女の自由だ。
愛する人を決めるのはハーマイオニーの心だ。
そして、少女はハリー・ポッターをこそ選んだ。
ならば、自分にできることは、ただ、見守ること。
少女は淡々と続ける。
「最近、彼……何か隠してるみたいです。
私にもロンにも言わない、何かを……。
それはきっと、彼にとっては、とても大切なこと、大事なこと……」
「……」
モリーは息を呑み、懸命に知らない風を装った。
少年が、ハリーが、その胸に秘めていることに、心当たりがあったから……。
そう、それは確かに少年にとって、とても大事なことであり、ひいては魔法界に生き
るもの全てにとっても大いに関係のある、光と闇の攻防の、その瀬戸際であるはず
だった。
「……私ね、昔から彼に頼ってもらえるのが嬉しかったんです。
ああ、ロンはこの話をしたのかしら……昔、ホグワーツにトロールが侵入した事が
あって。
その時、彼の、ハリーの機転で私は命を助けてもらった事がありました……」
トロールが!?
まさか、そんな……。
絶句するモリーに気付かないで、少女は続ける。
「それから、私達は親友になりました。彼やロンは私のことをいつも気に掛けてくれ
たし、私もまた、二人の事を大切に思ってきた。
彼はね、ハリーは、いつだって、私を、ロンを頼ってくれていた。
……何でも、打ち明けてくれたんです、本当に……何でも。
私はそれがとても嬉しかった。
嬉しかったんです、とても。
私も彼の役に立てるって……、
ハリー・ポッターであるが故に常に苦難を強要される、彼の少しでも力になれるって
……。
……だから、私は彼の為になることなら、何でもやった。これからもそれは変わるこ
となく、私は彼の為に力を尽くすでしょう。
あの時……私がトロールに襲われた時、彼が命を賭けて私を救おうとしてくれたよう
に……。
私は恐くて身を竦ませていたのに、駆け出しの魔法使いに過ぎなかった彼が、それで
も、必死で、あの巨大な怪物に立ち向かってくれたように……。
時には彼から、あのファイアボルトを取り上げて、恨まれたりもしました。
……ええ、恨まれてもかまわない。
たとえ死ぬほど憎まれていたとしても、それでも、私は彼の為になら、何でもするん
だから。
だって、それが……命を賭けてくれた親友に、きっと私ができることでしょう?」
「……」
それはたぶん違った。
その想いは、それほどの想いは親友に向けられる種類のものではないということを、
モリーは知っていた。
そう、それはきっと……。
「でも、彼は話しては……くれないみたいです。
何がそこまで彼を苦しめているのか、その元凶を……。
わ、私が……弱すぎるから、彼は話してくれないのかなあ……。
私が……頼りにならないから、彼は話してくれないのかなあ……。
やっぱり、私は……、私じゃあ……力になれないのかなあ……」
「ハーマイオニー……」
「……悔しい。
とても悔しいんです……。
こんなにも自分が無力だなんて……。
あれから、シリウスの事があってから……、ハリーが本当に心から笑っているところ
なんて、私、見たこと……、ない、よ……」
月明かりのもとで少女は顔を俯かせる。
透明な声音で淡々と綴ってきた独白がついに乱れた。
少女が握る手に強く力が込められる。
ギュッと、想いを伝えるように。
祈りを込めるように。
しかし、少年の寝息は乱れること無く、目覚めることはない。安心した寝顔で深く眠
りについている。
少女が差出した手は感情の奔流に僅かに震えていたが、それが眠れる少年の手に伝わ
ることはなく。
少女の秘めた想いもまた、決して、伝わることはない……。
「ハーマイオニー……」
暗い室内に薄く差し込む神聖な月明かりの下、白翼を喪った天使が祈りを捧ぐ。
震える手、差し出した、少女の姿は、さながらそれにも似て……。
モリーは、どうしようもない遣る瀬無さを覚えながら、立ち尽くす。
闇深き夜空に燦然と瞬く星々が、真っ白な月が、少女を励ますように、白く透き通っ
た光を投げ掛けた。
時の流れが止まったような荘厳な静寂の中、……キラキラ……キラキラ…
…と、輝く其の光の欠片はだけが、儚げに、ただ優しく、少年と少女の二人を、包み
込んでいた……。
◇
不思議な安堵感に包まれて、光溢れる朝の世界、黒髪の少年は目を覚ます。
昨夜はよく眠れた気がする。
ここのところ、よく眠れる日が続いている。
やはり、シリウスとの思い出が残るこの家にいるせいなのだろうか。
死んだなんて信じたくない、今にも笑顔でひょこっと現れそうで……。
だが、それは、ありえないことだ。
判っているさ、本当は。
「なんだかなあ……」
彼との記憶を思い出すことなく、よく眠った自分は薄情なのかもしれない。
たとえ、それが悪夢だとしても。
彼が出てくる夢の一つでも見ないだなんて……。
コンコン、忙しないノックの音が響いたかと思うと、見慣れた赤毛の親友が遠慮の欠
片も見せずに室内に入ってきた。
「わあ、ハリー、起きてるか?朝食ができてるみたいだから、早く行こうぜ?」
朝から煩い人だなあ、とハリーは思う。
沈みがちなハリーを励ますように、少しでも楽しい気分になって欲しいと、その想い
が、赤毛の少年をして明るく振る舞わせていることは、知らずに。
「今から着替えるから、ちょっと待っていてよ」
「何言ってるんだ、ハリー。もたもたしてたら、あの双子に全部食われちまうよ!」
ホグワーツと違い、此処には、双子の最大の天敵モリー・ウィズリーその人がいるか
ら現実にはその可能性はゼロに等しい。
「ああ、本当にいい匂いだね」
開け放たれた扉の向こうから漂う食欲そそる匂いにハリーはニッコリと笑った。
「だろ?早くしてよ、ハリー。僕、もうお腹ペコペコさ」
ロンの切羽詰まった言葉に意見の一致をみたハリー・ポッターは擦り切れたジーンズ
を引っ掴むと慌てて着替えだしたのだった。
朝食の席は、ウィーズリーの家とは違い、広い。
フレッド・ジョージの双子はもちろん、ロンやジニーも嬉しそうだ。
だけど、ハリーはいつも少しだけ淋しく思うのだ。
ハリーには、狭苦しいながらも、使い込まれた木のテーブルの上、みんなで窮屈にそ
れでいてワイワイ食事する方が貴重なように思えるから。
ハリーがロンと共に、いつものだぶだぶのジーンズに、適当に掴みとった白いシャツ
を被って、髪もボサボサのまま、顔も洗わずに朝食の席に飛び込んだ時には、もうみ
んな集まってきていた。
挨拶を交わし、ジニーの隣に座り込む。
ウィーズリー夫人モリーが、フライパンを傾けて、ハリーの皿にこんがりしたソー
セージと目玉焼きを盛る間に、ハリー正面に座るフワフワ栗毛の少女の目がほんのり
赤いことに、ふと、気が付いた。
「あれ、ハーマイオニー、ちょっと目が赤くない?」
その言葉に、フライパンの柄を握るモリーの手がビクッと僅かに震えた。
「えっ、そ、そうかしら……」
戸惑ったような少女の声。
ハリーは、きっぱりと断言した。
「うん、絶対にそうだよ。また、どうせ、夜遅くまで本でも読んでたんだろ」
それにロンも続いた。
「ああ、彼女はガリ勉でいらっしゃるからな。おおかた、学年一位の座を死守する為
に今からテスト勉強さ。……でも、無理はするなよな」
ぶっきらぼうに最後に付け足した言葉が、本当は一番、言いたかったのだろうか。
「あなた達もちょっとは本を読めばいいのだわ。だいたい、宿題は済んだの?私のを
写させたりはしないわよ?」
いつもの調子で言い返す少女に、モリーが口を挟んだ。
「……何の本を読んでいたのかしら、ハーマイオニー?」
冗談めいた口調には、僅かに真摯な意味が込められていた。
「え?」
思いがけぬ方面からの質問に、ハーマイオニーはたじろいだ。
「ごめん、何でもないわ」
そう、自分は口を出すべきではない。
少女の気持ちは、その想いは、いずれ彼女が自覚して後に、彼女の口から語るべきな
のだから。
……だから、モリーは慌てて誤魔化した。
「どうせ、難しい魔法論の本でも読んでたんだ」
吐き捨てるように黒髪の少年が言った。
「わあ、よくそんなの読んで判るね、ハーマイオニー。すごいなあ」
ジニーが感嘆の声をもらし、栗毛の少女はただ曖昧な笑みを浮かべる。
「……」
モリーは唇をぎゅっと横一文字にして、目を閉じた。
言いたいことがあった。
だが、言う資格がなかった。
「このソーセージ、美味しいよ、ハリー」
それでも、ハーマイオニーはハリーに笑いかける。
黒髪の少年が卵焼きにしか手を付けていないのを素早く見咎めて。
「うん、そうだね」
勧められるままにソーセージを口に含んで、少年が言った言葉に、少女は微笑む。ニ
コッと笑う少女の顔は、本当に嬉しそうで。
汚れなく愛くるしく。
……そしてどこか、哀しかった。
モリーの胸がたちまち張り詰めた。
何かが込み上げてきていた。
慌てて、台所に戻って、ソーセージをフライパンに放り込む。
身を焼くような悔恨に打ちのめされていた。
どうして、あんな酷な事を訊いてしまったんだろう……。
どうして、あんな風に笑えるんだろう……。
モリーは、崩れ落ちた。
……いつもは芳ばしく薫る焼ける匂いが、だが、今は、ひどくつらかった。
(おわり)
作者コメント
最後まで読んで頂きありがとうございました。
今回、わたしにしては珍しく(?)シリアスな調子で書いてみました。
ある日、ふと「モリーを起用しよう」と思いたち、一週間ぐらいかけて、ちんたら書きました。内容はかなり妄想が爆発していますが、大目に見て頂ければと思います。舞台はまたまた深夜未明になっておりますが、夜が好きなので、もう仕方ないですね、こればっかりは。登場人物の皆様には寝不足になって頂くしかないかなあ(笑)。
まあ、とにかく今作は「痛い」話を目指しました。で、書いてから読み返すと、…… 痛くない(ずっこーん)。や、やはり、私は痛いのが書けないのね……。と、実はけっこうショックでした。
でも祭りに投稿するけどね(笑)。
読んでくださった方が少しでも楽しんでくだされば、何か感じて頂けたならば、幸いです。
by レイン坊
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