終わらないリフレイン 〜still love...
一人で石畳の上を歩いた。
昔は、三人で同じ道を落ち葉を踏みしめながら歩いていた。
去年までは二人で。
今年は、一人で。
きっと、来年も。
不思議なことに、それでも自分は呼吸をして、生きていけている。
あのころは、独りだなんて絶対に考えられなかったのに。
考えて、舞い落ちる木の葉の一片を手のひらで受けとめた。
***
煙草の味と彼女の味、覚えたのはどちらが早かったっけ、とハリーはぼんやり思う。
覚えているのは、酷く大きな喪失感をどちらも抱かせたということだけで。
何か大事なものが、指の間からぼとぼとと零れて、それが堪らなく彼を滅入らせた。
お互いに抱えたこの大きな欠落の穴を塞ぐために、一緒にいる筈だった。
身体を寄せ合うのが普通のことになったのはいつからだったか思い出せない。
いつもなら別々の道を帰る彼女を引き留めたときに、
彼の中でなにか大きな時代が一つ終わってしまったことと、
ただ、痛がる彼女の涙が後から溢れて止まらなかったのだけは鮮明に覚えているが。
罪だと自覚した記憶として。
それからずっと、彼は自分を罰し続けている。
触れ合えば少しはこの大きな欠落感も埋まるかと思ったのだが。
***
「…ねぇ、ハリー。」
ヘッドボードにもたれて煙草に火を付けたハリーが振り向くと、
彼女は栗色の髪の毛を揺らして起きあがった。
いつも煙草を吸うと口うるさく注意されるので、黙って吸い始めの煙草をもみ消す。
けれど、意に反して彼女は彼を咎めるために呼びかけたのではなかった。
ハーマイオニーはふわんととても透明に微笑み、
まるで明日の予定を決めるようにさり気なく切り出した。
「…終わりにしましょうか。」
ハリーの手は震えなかった。
来るべき日が来たのだとぼんやりと頭の中で思っただけで。
ハーマイオニーが毛布を胸元まで引き上げながら続ける。
身体が微かに震えているのは寒さだろうか、と他人事のように思った。
「だって私たち、こんな風に…」
呟いて、暫く言葉を選んだ後、また口を開いた。
「こんな風に逢っていても、お互いにとっていいことにはならないわ。」
「何故、急に?…上手くやっているじゃないか、僕たちは。」
ハリーはそれだけ言うと、彼女の肩に手を伸ばした。
彼女はそれを僅かに避けて拒否の意志を伝えると、口元に手を当てる。
かなり長いこと、二人は沈黙したままだった。
ハリーは狼狽えもしなければ、困惑する様子もない。
それで、ハーマイオニーの腹も決まった。
今まで、ハリーに対しては禁句にしていた通牒を突きつけるように、堅い口調で言葉を紡ぐ。
「お互いにこうやっていても、……
ロンを忘れることは出来ないわ。消すことも出来ないの。
…もう、解放してあげましょうよ。ロンを。
だって貴方、ロンが死んでから一度も彼の名前を呼んだことがないわ。」
びくん、とハリーの身体が引きつった。
分かっていても、図星を指した自分自身に、ハーマイオニーは一瞬死にたくなったが、
何とか気力を振り絞って続ける。
「彼の名前を呼ぶ代わりに、私の所に来るのは構わないわ。
けれど、貴方がどんどんだめになっていくのは耐えられない、私。」
囁くように呟いて、ハーマイオニーは彼女を見られないで居るハリーの背中に腕を回して抱きついた。
背中から伝わる温もりに、ハリーが聞き分けのない子供のように首を振る。
ハーマイオニーが苦笑したのが肌越しに伝わった。
「ハリー、貴方が傷つくのが怖ければ、私が二人分傷ついていい。
血を流すのが嫌なら、私が貴方の分まで流しましょう。
貴方が現実を見られないのなら、私が見るわ。
貴方が手放せないのなら、私が離れることにする。だから……。」
それだけ呟くと、ハーマイオニーは少し微笑んだ。
「だからもう、止めましょう。こうやって、少しずつ、傷口を広げるのは。」
言葉と共にぎゅっと捕まれた腕が熱くて、ハリーは声を上げそうになった。
心の内の傷にずっと着いたままになっている瘡蓋を一気に引き剥がされたように。
馴染みのある痛みが胃の府から全身に広がる。
「君は。」
「逃げないで、ハリー。」
呟きながらベッドから立ち上がろうとするハリーの腕を掴んで、ハーマイオニーが必死の瞳で彼を見上げた。
「聞いて、お願い。」
最初で最後の恋人としての頼みよ、ハリー、と言われ、彼は不承不承ベッドの中にもう一度腰を落ち着けた。
これ以上小うるさいことを言われないうちにもう一度抱いて何もかも忘れさせてやろうかとも
ちらりと考えないでも無かったが、先ほどハーマイオニーが口にした名前が、
ハリーの中の何かを完全に萎えさせて無気力にしていた。
聞きたくない、という言葉の代わりに、有りっ丈の皮肉を込めて呟く。
「君はそうやって、いつでも僕達より先を歩くんだ。」
「ええ、そうね。それが私の役目だと自覚しているもの。」
肩をすくめ、ハーマイオニーは小さく笑った。
「でも、本当は私はそんなに出来た女じゃないの。綺麗事で恋愛は出来ないわ。
…けれどハリー、貴方が私を『親友のハーマイオニー』としても大事にしてくれる限り、
私は貴方の前では強い女で居なくちゃならない。」
私の演技、アカデミー賞ものだったでしょう?と首を傾げる知らない女のようなハーマイオニーに、
ハリーはただ、黙って頷いた。
「申し分のない恋人だったわ、貴方は。英雄としても、一人の男性としても。
何一つ、欠点なんて無かった。そして、私にはそれが耐えられなかった。」
ハーマイオニーが苦笑する。
ベッドでは文句はなかったけどね?と軽い皮肉を付け加えるのも忘れずに。
こんな時まで冗談を言わなくてもいいのに、と思うと、ハリーは初めて彼女が哀れになった。
「誰もが羨むお似合いのカップルで、親友同士で、学友で、戦友。
だけれど、私たち、その代わりに、全くお互いの本音ではぶつかってこなかったわね。」
腫れ物に触るように扱われるのも、もう限界なの、とハーマイオニーが囁く。
「でもね、ハリー。私は貴方を愛していたわ。…少なくとも。
だから、こんな馬鹿馬鹿しい茶番劇にも付き合おうと思ったのだけれど…。
やっぱり私ではダメね。貴方に思い出させるばかりで、壊してしまうばかり。」
切なそうに呟いて、それでももう、ハーマイオニーはただ笑った。
泣く時期は当に過ぎ去っていたのだとハリーは気付いた。
もう、彼女を取り戻せる機会は遠い過去の中に過ぎ去ってしまっていたことも。
それを潰したのが他でもない自分自身であることも。
ハーマイオニーが淡々と続ける。
「貴方は私を抱きながら、ずっとロンを見ている。…でもね、私をどうこうしても、
もうロンは戻ってこないの。…貴方を止める人は、もう誰もいないのよ。」
けれども、ハリーは動けなかった。
ハーマイオニーが、赤毛で朗らかだった彼の親友が居なくなってから、初めて本気で話していると知ってさえ。
黙って彼女の台詞を聞くばかりで。
引き留める言葉一つ、口にできなかった。
絞り出すように呟いたのは、哀しくも彼女を責める台詞。
「だったら…だったら、何故僕と一緒にいた?」
「ハリー・ポッター…私は貴方が好きだって言ったでしょう?」
ハーマイオニーが聞き分けのない子供を諭すように言う。
「…私では貴方を幸せには出来ないけれど、
私もきっと貴方が相手では幸せになれないけれど。
ロンのことがある限り。彼の事を思い出す限り。
それでも、抱かれる腕は貴方が良かったの。
ただの我が儘よ。…これではずっと一緒に居られるはずない。
…だから、遅かれ早かれ、私は貴方から離れると思っていたわ。」
それでも寂しさは紛れたわね、少しは、と苦笑する。
―――――笑うのか、君は。
ハリーにはもう、彼女にかけるべき言葉は残っていなかった。
ハーマイオニーはのろのろとベッドから出て、床に落ちた服を拾った。
思ってみれば、殆ど入り浸るようにこの部屋にいたくせに、
彼女は自分の私物は一切持ち込まなかった、と今更ながらにハリーは気付く。
服を着てしまうと、相変わらずハーマイオニーは凛々しくて、
いつも外で見る誰が相手でも一歩も引かない強い彼女に戻ったように見える。
さっきまでベッドで見せていた弱さが嘘のように、
生活臭も感じさせない、『完璧な恋人』が、そこには存在していた。
彼女は苦笑気味に微笑むと、リビングに通じるドアへ向かって歩き出した。
最後に、部屋のドアを閉める前に、躊躇いながらハーマイオニーは呟いた。
「ねぇ、ハリー。…『僕達』って誰のこと?
この部屋には最初から最後まであなた一人しか居ないのよ?」
「……。」
「これが私からの最初で最後の小言かしら。…じゃあハリー、また明日。職場でね。」
ドアがばたんと音を立てて閉まった。
そうして彼は、彼女が行ってしまう足音をじっと噛みしめた。
気分を落ち着けようと煙草に手を伸ばして、一本引き抜く。
火をつけようとして、初めて自分の手が酷く震えていることに気付いた。
「…どうして。」
呟いた。
「ただ、側にいて欲しいだけなのに、どうしてっ…!!」
殴りつける対象を見つけられない拳は、形作られたと同じまま、力無くベッドに沈んだ。
***
ロンドンの石畳は、冷えた空気と降り出しそうな雨を包み込んで、固く靴底を弾く。
音を立てて歩きながら、ハリーは首にかけたマフラーを巻き直そうとして思い止まる。
彼の親友はいつも、マフラーを巻くということをしなかった。
ただ、首にかけただけ。
風になびくマフラーをぼんやり見ていると、不意に熱いものが目の裏に込み上げてきた。
「……君は今、どんな所にいるのかな、ロン。」
曇った空を見上げて呟く。
浄化の呪文のように、その名前は何よりも胸に染みた。
あの厚い雲の向こうには、
彼の瞳のように澄み切った青い空が広がっているのだろうか。
今はもう、見ることすら叶わないけれど。
ハリーは声を上げずにゆっくりと涙を流し始めた。
もう二度と届かない、三人目の自分に向かって。
作者コメント
書いていて異常に楽しかった(楽しかった?!)ハリハーです。
ハリハーって、自分自身で手がいっぱいなハリーに対してハーマイオニーが無理して強い女になって、
都合のいい女を演じ続けて挙げ句にブチ壊れるという勝手なイメージがありまして(ホントにな)
痛々しいというか普通の女にはなれないなと。
ハリーに泣いてすがって別れないでって言うハーマイオニーとか、
ハーマイオニーにロンに対するみたいに甘えて甘えて、
じゃれついていくハリーって、なんか無理が(無理言うな)
一番ブラックなところさっくり見せちゃう癖に、そこを支えられるのは我慢ならないというか…
閉め出してないかなと。
いやホントは見せてさらけ出したら楽になるのはハリーも分かって居るんだけど、
ハーマイオニーがいくら「了解」のサイン出しても気付かないフリしていると(笑)
挙げ句にハーマイオニーのただの女になりたいオーラもシカトしてんじゃないかと(…)
最初にお互い作り上げていた「ハリー・ポッター」と「ハーマイオニー・グレンジャー」の理想像があって、
そこからどんどんどんどんそりゃ乖離していくものなんだけど、
ハリーとハーマイオニーの場合お互い完璧主義で潔癖そうなので、
その離れていく自分も相手も許さないと言うか見たくないと言うか…
挙げ句見なかったことにして奈落の底に落っこちると(笑)
だからそれをどうこうするにはもうハリーの手の届かないところに行っちゃうしかないと。
にはロンの腕は一番安全地帯かというのでやっぱりハーマイオニーにもロンは逃げ場になっちゃう、
というのがそもそも「羊たちの沈黙」などとタイトルしたど暗いお話の事始めやったんですが。
ハリー、自我が強いから恋愛や女に流される自分というもの自体が許せないんじゃないかなと。
ハーマイオニーは「守るもの」であっても、そりゃ愛してるけど、
壁の内側に入れるのはすごい怖がって居るんじゃないかなぁと。
挙げ句別れてホッとする、みたいな…
ああん、ハリハー好きさんごめんなさーーーい(滂沱)
しょうがないので身体繋げるだけは繋げて、余計に寂しくなっちゃうと言うか虚しくなっちょうという
壮絶に色っぽいイメージは有るんですけど(でも書き切れてない。ああん。)
ロンが死んでるのはオプションに近いです(笑)今回邪魔なのでさっくり退いていただきました。
(あんたロン好きとは思えない発言だね…)
いやだってロンが居たらハリーはそっち逃げ場にするし。
したらハーマイオニーにはもっと何にも言わないし本音ぶつけないと思うし。
どっちにしても遅かれ早かれハーマイオニーがロンを刺すだろうと(刺すって。)
実はそのネタと迷ったんですけどね(迷うな)ハーマイオニーがハリーが好きで、でも
ロンが居る限り彼女の思いは成就しなくて、思い詰めてロンを刺しちゃうと。(酷)
ホントはそのくらい激しい女なんじゃないかなと(願望)
曲は「シティハンター2」のEDだった、TMNの「STILL LOVE HER」。
明るく前向きそうな歌詞とメロディがかえって痛々しい名曲です。なんでアルバムにしか入ってないかな〜。
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歌をきかせたかった
愛を届けたかった
想いが伝えられなかった
僕が住むこの街を
君は何も知らない
僕がここにいる理由さえも
もしあの時が古いレンガの街並に
染まることができていたら君を離さなかった
冬の日ざしをうける
公園を横切って毎日の生活が始まる
時がとまったままの僕のこころを
二階建てのバスが追い越してゆく
12月の星座が一番素敵だと僕をドライブへと誘った
車のサンルーフから星をよく眺めたね
君はよく歌っていたね
もしあの歌を君がまだ覚えていたら
遠い空を見つめ ハーモニー奏でておくれ
冬の日ざしをうける
公園を横切って毎日の生活が始まる
時がとまったままの僕のこころを
二階建てのバスが追い越してゆく
歌をきかせたかった
愛を届けたかった
想いが伝えられなかった
枯れ葉舞う 北風は きびしさを増すけれど
僕はここで生きていける
―――"STILL LOVE HER-失われた風景-" By Tetsuya KOMURO
by 雨野とりせ
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